Friday, October 30, 2009

〔責任論〕第九章 説明の条件、理解度ということ②

 少々直観的な推論的な表現を許して貰えれば、私は人類の起源に、他の霊長類とも異なる側面として極初期状態から理性の存在を認めている。だがその実体に関して多少今まであやふやな面があったことも認めよう。そこで私が言う理性というもの、そしてその理性を根幹から支える良心とか思い遣りとかも思念をもっと具体的な形で示してみようと思う。
 理性とはその名の通り理であるから当然責任という観念を常に介在させる。しかし理性というものはそれ自体では先述で多少示したが、説明不可能事項である。理性を論理的に統合したカントは、実は理性自体を説明することの不可能性によって理性を幾つかにカテゴライズし、再びそれらを統合しようと図った。しかし根本的にそれら理性の本質を却って見え難くした面も否めない。そこで私はもっと分かりやすい形で理性と、それを支える良心というものを考え直してみようと思う。
 前作「死者と瞑想」で私は他者の死を体験することで人間は、自分とその他者とで過ごした時間の質、言ってみればその他者しか知らない自分との別れを告げ、自分に関して他の他者は決して知ることのない自分を知る者の死が、自分のいつか到来する死までに残された時間が急速に短縮されるような感慨そのものが、他の喪参列者たちが死者に最も身近だった者の存在を社会的地位といった事柄で参列者の優先性を決することをせずに、死者にとって一番身近だった者の喪に関する優先性を付与することが人類の他の霊長類には見られないウェットな表現を許して貰えば「思い遣り」ではないかと私は思い、それを私が仮説した人類の良心の起源であるとした。私は言語獲得の起源をそこに見た。(仮説だ。)
 そして実はそういった他者からの思い遣りに対して感謝の念を捧げるという心的様相こそが、たとえ自分で努力した末の好結果であっても尚、天に、あるいは神に感謝を捧げるという意識を生じさせ、そのことで説明可能性と説明不可能性の双方を相補的に理解することを促したのだ、と捉えたいのである。
 そもそも言語的説明という論理性の起源は、私は言語的説明不可能性に対する自覚と認識こそが生んだものであると考えているのである。
 本来自然科学とは視覚的に確認し得ることを機軸に展開されてきた。そしてそれは例えば実験的な数値という統計的な真理による立証である。それは多大な文明を我々に齎した。しかし同時に我々は例えば今日の脳科学でさえ確かめようのない微細な心的様相を明快に心の内から内的理解をすることが可能だ。寧ろfMRIによる測定法注1、イメージングというものは、そういった微細な心の動き、意識の変容を後から追いかけ、必死に辿りつく、だからこそ百年以上前のウィリアム・ジェームスの考えがやっと立証されたりすることもある。しかしだからこそ現代科学そのものを無視したり否定したりすることは愚かだが、同時に自然科学では追いつけない内的理解の側からの考えもまた無視すべきではない。
 先述した空間に意識があるかも知れないという発案は既にあのクリプキの批判者(ウィトゲンシュタイン解釈を巡る)としてつとに有名なコリン・マッギンによっても「<意識>の神秘は解明できるか」においてなされていた。
 つまり心の底からそう思えるということの方が実験的データによって示されることよりも正しいこともあると私は思うのである。これは科学の否定では決してない。これからは特に自然科学と哲学や心理学は益々協力体制を築き上げてゆくことだろうと私は思っている。だからこそ自然科学分野の人々もまた哲学や芸術分野の人々の意見に耳を傾けて欲しいとそう思うだけのことである。
 話を戻そう。言語的説明不可能性というものは喪の際の憔悴感とか、偉大な自然を前にした時の崇高の念(カントが「判断力批判」で示したところのもののような)、親しい親族、同僚の全てを含めた他者の死を体験した時の感情、それら一切が逆に同一の心理を味わう者同士の運命共同体意識を派生させたとしたら、我々はそこにこそ言語獲得の内的なモティヴェーションを見出し得るのではないだろうか?言語行為は音声起源的には恐らく意味論的な目的性はなかったであろう。しかしある時、感情の襞を進化させてきて内的理解を得るようになっていた人類は、この説明不可能な強烈で明快な感情を何とか表現したかった。しかし太陽とか川とか海とか山とかは語彙設定しやすい。しかし太陽の恵みによる感謝の念とか、親しい他者から受ける恩恵に対する感謝の念とか、あるいは死に行く者への惜別の念とかは一見表現しやすいように思えてその実説明不可能なことである。そしてそのもどかしさは恐らく例外なく全ての人類成員が持ち合わせていたであろう。だからこそその説明不可能性に対して説明し得る範囲のもののなら何でも語彙設定してみようという意欲が生じたと考えることにはどこか説得力がありはしないだろうか?
 自然科学の方法論においてはまず知性の獲得が挙げられ、その長い進化過程においてかなり後になってやっと理性が生じたと考えることの方が多かったと思う。しかし翻って考えてみると、寧ろ知性というレヴェルでの測定可能な領域は例えば大脳の血流の状態を確認出来るとか比較的現代に近づいてくるに従って得られた方法であり、それは素朴な自然科学に対する信頼感が支えている。そしてその測定的事実そのものは信頼に足るものであろう。しかし測定可能なことと同時に測定不可能な事柄も常に横たわっていると認識しておいた方がいい面もあると思われる。ある考えが脳内でなされる時、それ以前に、あるいはその時にそのこと以外には何を考えているかという命題内容如何によって血流状態、つまりニューロンの活性化の状態は幾らでも変わり得る。しかし現代の科学を持ってしても尚、そこまでは測定不可能であろう。また人権的な問題もあってある一定以上の測定には倫理的な問題もある。それくらいに脳という作用自体は微妙で複雑であると言えるのだ。そしてもし私が考えるようにある程度高度な知性というものこそ言語活動の進化過程でなされてきたと考え、逆に一見近代的な産物であると思われがちな理性こそ、実はソクラテス以前的にもかなり長い時代に渡って人間を支配してきたと考えると途端にあるもやもやした霧が晴れて、見通しがすっきりして言語獲得の謎に迫りやすくなると言えはしまいか?
 私は本論を責任論と位置付けてきたが、実はそれはある意味では良心論でもあったのだ。しかし私たちの生活を見ていても分かることなのだが、例えばどんなに悲惨なニュースを見てその被害者並びに家族の人たちに対して「気の毒に。」と思っても、次の瞬間には同じテレビニュースを見る我が家族の姿を見てほっとして「うちの家族のことではなくてよかった。」と思うものではないだろうか?つまり本当にその悲惨なニュースで告げられているような何らかのアクシデントに見舞われていない通常の人にとって良心というものはあくまで自分と自分の周囲の家族、親しい友人の間にのみ適用される、偽善的とまで行かなくても、多少の身内的エゴイズム(地域的エゴも含む。)に近い心理ではないだろうか?
 しかし責任となると途端にその様相を変える。例えば職務に忠実な公務員とか、政治家とかはどこか冷たく感じられる要素というものを持っている。しかし誰か特定の人々、それは利権団体とか地方自治体とかに対してえこ贔屓をしないと決め込めば、政治家も、あるいは特定の市民に対してえこ贔屓したりしないと決め込めば必然的に公務員も彼らにとって公務というものにはそういう冷たさというものが付いて廻るものではないだろうか?私たちは例えば腕のいい医師が同時に人間的にも暖かみのある態度で接してくれるのなら最高だと思うが、職務と自分の技術に対する自惚れのないように心掛ける人というものはあらゆる名人的な職人につき物の多少無愛想で表面的には冷たさを感じさせることも多いものである。そして多少無愛想でも腕のいい医師に執刀して貰うことを、愛想がよく人好きにするタイプなのに腕はいい加減な医師に執刀して貰うよりも歓迎するのではないだろうか?つまり本来責任というものとはどこか冷たいと思われるような冷厳さが積極的に求められてもいるのである。
 だからこそ私は良心が人間のある種の暖かさを育んできたが、同時に自分にとって親しくはない者にも自分にとって親しい者へ注ぐ、ある意味では私情を払拭した平等主義的倫理こそがもう一つの面では人間を高度な文明社会を築いて来させたとも言えると思うのだ。
 つまり良心と責任の重複部分(それはよく言われるヒューマニズムの起源であると思われるが)と、拮抗部分との絶妙なバランスこそが我々を片や温かみある、しかし一方ただ単に情に流されはしない秩序と均衡のある社会を築き上げてきたと言えるのではないだろうか?
 少しウェットな言い方をすれば、人類は仮に危機的状況にあっても尚生に対して感謝する心を持っていたがために今日まで絶滅することなく生存してきた、とも言える気がする。
 例えばウィリアム・カルヴィンは次のように言っている。
「(前略)チンパンジーは変化に富んだ食物を口にする。果実やシロアリ、葉だけでなく、たまたま捕えることができた小型のサルや子豚まで食べる。したがって、チンパンジーは脳の配線を切り替える必要があり、精神的に融通性が高いということになる。だが、何がこうした融通性をもたらしたのだろう。ヒトは生まれつき多くの行動プログラムをもっている。あるいは、学習して身につけたり、すでに存在するものを結合しなおして新しい行動を急に出現させたりできる。タコ、カラス、クマ、チンパンジーなど雑食動物は多くの「手段」をもっているが、それは彼らの祖先がさまざまな食料を前にして行動を切り替えなければならなかったからにすぎない。雑食動物はさらに、彼らが求めるイメージや音についての感覚的な鋳型も、よりたくさん必要とする。」(「知性はいかにして生まれたか」93~94ページより)
 我々の祖先の脳が巨大化したことを、ある何らかの食料危機的状況の打開によって開示させられた、ともし捉えるのなら、我々はこう考えることも可能である。あるグループ(同一種としても、そうではなく近接種としても)が自分たちが食料とするものを既に独占しており、その食料以外にも食べられるものを物色し始めたとすると、その差し迫った状況がある必死な認識を必要として、別種の食べられるものを発見出来なかった個体は死んでゆく。以前の古い習慣を捨て去ることに躊躇する個体である。結局自然選択として彼等は真に融通性を持つ個体だけがその厳しい環境に適応してゆく。その際に捕食者と、そうではない安全な生物種との弁別、それらの立てる音、要するに生活必需的な情報としての様々なクオリアの弁別性の獲得が我々の祖先に事物に対する複雑な認識力を構築していった。そしてその際に今まで食べ慣れていなかった食料を発見した時に、自然に対して(あるいは神に対して)感謝の念を抱くということが出来たとしたら、あるいはそれ以上の発見をしようという意欲を生んだであろう。つまり成功した時に、自然の恵みに対して、そして自分たちをここまで何とか生存させてくれた神のような恵みに対して感謝の念を捧げるという思念、あるいは感情が発生したとしたら、彼等は更なる発見に対して邁進出来たのではなかったろうか?そしてそういう成功が意外と自分にとって日頃から親しい者との協力だけではなしに、ある時には一緒に協力するまでは見ず知らずだったような他者との共同作業によって齎されることの多いことに気付いた時我々の祖先は他人に対する責任という観念をより徹底化させ、他者の存在そのものに対して感謝の念を捧げるようになる。そして何事かの達成という事実は同僚との友情、信頼を醸成する。
 他種、他個体グループによって独占された既在の食料外の食料の模索が、食物摂取を巡って食料それ自体の概念の多様性を獲得させる。そういった認識は必然的に食料命名へと繋がる素地が用意される。食料認識の多様性獲得と名詞的命名とその使用は意外と同時的な共進化であったかも知れない。それは同一グループ内での食料摂取と確保を巡る生存上不可欠な情報伝達の意味を持つ。
 しかしウィリアム・カルヴィンは同時にこうも言っている。
「進歩の代価は、しばしば、他のレベルの組織体に疎くなることだ。たいていは、自分の専門のちょっと下あるいはちょっと上のものしかわからない(化学者は生化学や量子力学なら知っているかもしれないが、神経解剖学についてはあまりわからない)。データはもっていなくても、自分の精神生活から得たものによって、壁にうつった影を幻影的に解釈するのは簡単なことだ。しかもその解釈が、考えられるもののうち最適だという場合もある。プラトンやデカルトはその時代にしてはかなりうまく解釈した。
 だがもっと、うまく説明できるようになったとき、シャドー・ボクシングで満足できるものだろうか。あるいは、言葉遊びをつづけるだろうか。言葉そのものは、言葉をつくる神経のプロセスがいくら想像できるようになり、ものごとを意識できる_すばやく働いて、瞬時に理解できるようにする知性を形成できる_ようになっていただきたい。」(同書、83~84ページ)
 勿論彼の言うようにある程度まで説明出来るようになっていた時、我々は概念を組み合わせ更に高次のレヴェルの認識を持つようになるだろう。しかし言語獲得期において人類にはそんな余裕などなかったに違いない。例えば気候の急激な変化にも対応してゆかねばならなかった。カルヴィンは更にこうも言う。
「果実を消滅させる気候の急変は、さまざまな種のサルの地域的な個体数に累をおよぼしただろう。より雑食性の強い動物は、被害を受ける一方で、他の食料で「まにあわせる」ようになり、その子孫は、競争相手がほとんど残れなかった危機のあとで存分に個体数を増加させたと思われる。」(同書、103~104ページより)
 しかしそのような急場凌ぎが比較的短期で過ぎ去り待ち時間がそれほどでもないのならば、確かにそのサルは競争相手の不在に託けて利益を貪ったことだろう。しかしそのような競争相手の不在という事情がなかなかやって来なかったり、あるいはある程度永続的であったらば、そのサルのグループは生存を賭けて必死に別の食料を永続的に摂取することを模索して、一旦それがなし得たなら、子孫に対しても永続的に多種の食料を摂取する習慣を存続させていったであろう。そうなると最早競争相手に対して遠慮する必要もないくらいに別の種として進化して行った(勿論成功者たちだけが)ということは考えられる。新しい習慣が子孫に遺伝的に継承されるくらいまで定着するまでは彼等は子供たちに説明して教え込んだ可能性がある。その時概念的な説明能力は飛躍的に進化したわけだ。
 もし最初求めていた食料にあり付けず、それが永続的な事態となり、絶滅したグループも大勢いて、その中から生存に成功したグループがいたとすれば、彼等は明らかに、最初求めていた食料だけにそれ以降は拘り続ける必要はなくなっていただろう。勿論最初求めていた食料、それを例えば果実としよう、それがもし仮にたまたま手に入れば、それを食すことはあっただろうが、その時点では最早それだけに拘る必要はない。そして果実の代わりになり得る他の多くの食料を発見していたのなら、彼等は食料の種類の類別認識、要するにカテゴリー認識を獲得していることになるから、そのカテゴリー認識は如何様にも拡張することが出来るし、同一グループ内での性質、形状の差異を弁別することが徐々に容易になるくらいに認識能力は発達してゆくだろう。思考能力の進化である。そしてそれはその差異を他者に説明することの出来る能力ともなってゆく。
 人類が農業を始める頃には、栽培という観念が定着していたのだから、当然栽培以外の観念との類別認識があったわけだ。狩猟、漁撈、栽取というようにである。農耕社会の出現に至るまでにはしかし非常に長期間の食料になり得る植物の観念が定着している必要があるから、植物、動物、時には鉱物といったものがその時々で食料として可能な対象として認識されていたことになる。勿論社会学的には農耕社会という大掛かりな集団である以前にはもっと小規模の栽培という現実はあったであろう。そもそも社会そのものが大集団になるという事態そのものはあくまで言語能力の飛躍的進化を必要とする。社会秩序とは年齢別、経験別、職業別のクラスを必要とする。そのためにはそれらの認識全体が既に把握されていなくてはならない。その辺りのミッシング・リンクこそ人類学の要求される場なのだろう。しかし社会が合理化されることが社会が大型化することであると考えるなら、それ以前に個的なレヴェルで自己と他者という観念が用意されていなくてならないだろう。そしてそれは基本としてやはり親族と他人という認識が基本にはあると思われる。その時責任という観念、あるいは良心という観念、あるいは本章で示した感謝という観念がそれら基本要素を巡って発生してくる余地が生まれる。

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