Friday, October 2, 2009

第三章 統語秩序と抑揚と強勢

 敢えて言語学的な立場からの視点で考えることに今回はしてみようと思う。まず文法というものは、意思疎通のためになされてきたと考えることで、それに沿って意思疎通がなされてきたわけでは決してないといことに覚醒することが必要である。文法があるとすれば、ある一定期間の間、それを言語共同体秩序臨界期とでも呼ぶとすると、その間にどのような言語も、文法的な試行錯誤期を経てある一定の不動点を得ることとなる。その不動点とは全ての成員が理解しやすいミニマルな統語秩序、統語的理解促進単位というものの定着という事実として考えればよい。しかし統語とは統語的な文の語順とか配列だけで成立しているわけではない。つまり抑揚とか強勢によっても相互依存していると考えられる。
 しかし発語行為において端的に言えることとは、その陳述をする者の内的な確信と、その強度こそがあらゆる陳述文章の、全ての日常的なアドリブ台詞の抑揚から強勢から何から何まで支えるということである。例えば人間の言語獲得の歴史においてある一定段階まで進化した時に立ち現れた最も象徴的な概念とは神であろう。神に対する捉え方は確かに洋の東西で多少の認識論的差異がある。しかしそれにもかかわらず神の数にかかわらず、神という存在があらゆる人間を取り巻く自然環境それ自体を創造したと認識している点でも、あるいはあらゆる事物に宿るという点でも、それが人間の人知に及ばない霊力を備えているという意味では共通している。そして一点放射状の最高存在者としての神であれ、自然全存在に宿る存在者であれ、それを信じる者にとってはどのような地球上のスペースにおいてもその考えが成り立つという彼らの真理の前では、それを信じる者が語る神についての高説というものにはある説得力がある。それはその信じる神を巡る物語を語る口調、抑揚その全てが理解する者にのみ共通する流暢さがある。それはある政治的信条を語る政治家の演説にも言えることである。あるいは地方の民話の語り部たちにおいてもそれは言える。
 一つの同一の意味作用的発言があったとしても尚、我々はその発話者の内部で主張自体に対する逡巡とか躊躇、あるいは明快な解答を把握し切れていないと迷いが顕現する。それはそのまま不明瞭な確信に対する真意表明となって立ち現れる。つまり信念が確固としているということがそのまま説得力を持つということだ。
 人類が何らかの形で文字文明を築き上げた時に既に初期神の形態があったとしてみよう。そうしたとして人間が抱いた観念の中で最も偉大な創作は神であったし、最も愚かな創造もまた神であったと言ってよいだろう。しかし少なくとも神という概念を人間が人間社会に提出するまでに多大な時間を要したのではないだろうか?それは言葉を発するという行為が定着してゆく過程でさまざまな試み、その中には本章で言うところの抑揚、強勢、そしてそれを形式として統合する統語システム、要するに語順、述定の文法的様式(疑問文、平叙文)、品詞確立等の果てしのない試行錯誤と実験場があったと考えた方が全ての謎がすっきりする。神という実体概念は実はこの人間による果てしない試行錯誤の連鎖の中から次第に明るみになってきた支配という観念によるものである。何かを制御すること、それは人心であったり、自然環境であったり、居住環境であったり、食料であったり、性生活であったりするのだが、それが自分の意のままにならないという苦悩と翻弄それ自体が、全てを支配する力の観念を現出させることになる。全て巧くことを運ばせられるだけの失敗のない経験からは経験という観念も、従属という観念も、支配という観念も生じ得ようもない。完璧であること、完全であることという観念は明らかに不完全であり、不十分であり、どうしようもなく停滞と拘泥に陥っているような現実及びその認識がなければ生じない観念なのだ。ある意味では統語秩序という奴は、そういう意思疎通上での人間の巧くゆかなさそれ自体が招来した理想的なシステムであった筈である。どうしたら他者にこの自分の思いを伝えられるのだろうか、という懊悩それ自体が派生的に生み出したシステムが統語秩序である。それは現代の脳科学がfMRIにおいて確認し得る側頭葉の言語中枢の神経学的作用そのものを練磨したであろうある立往生であり、たじろぎであり、行動連鎖の停滞であったことだろう。
 言語獲得の歴史においてある部分では最も重要な統語構造の獲得、それら一切を統語秩序と私は本論では呼ぶことにするが、それは神という概念の獲得と同様、人間の長い間の祈願だったと言える気がする。そして統語秩序の完成、意思疎通の開通という事実こそ、科学的認識の輝かしい一歩だったのではないだろうか?私は殊更宗教的感情を人類の曙の成員全てからの了解事項であったとは考えない。寧ろその儀礼に司る人員は限られた人々であり、同時に無神論的信条者たちも大勢いたと考えている。しかし現代人にとって文化とはその自然科学的な根拠よりも大切な場面というものも多く見受けられる。結婚式での仏式、神式、教会式といった慣例的な行為はどんな無神論者にとっても重要な儀礼性である。宗教儀式を熱心な信仰心からだけで判断するのは誤っている。しかし最も不思議なのは、教会に通うのが嫌だったというアメリカ人には会ったことがあるが、統語秩序に逆らわないで言語で意思疎通する人が殆どで、少なくとも母国語で意思疎通することを不機嫌な時とか欝な時以外で面倒を感じる人というのが少ないことである。何故人間は会話することはそれほど億劫ではないのだろうか?そこには何か理由がありはしないか?そしてその理由こそ私が本論を一つの品詞論哲学として位置づけたい根拠ともなっているのだ。
 号令をかけることというのは、ある意味では抑揚と強勢が最も重要である。それは集団に対してなされる命令の儀礼である。そしてそれはイデオロギー的には余り儀礼的秩序そのものが好きではない成員に対しても、ある程度強制力を持った発語行為と言える。この号令というものは軍隊、そして国家秩序の称揚という慣例的な、慣行的な伝統に則っている。そして命令には威圧的な部分があるが、それは品詞的には動詞であるが、そこでの動詞の作用は叙述的ではない。どちらかと言えば、決定性・支配の様相を呈している。そして威圧的な強勢を語自体に意図的に含ませている。それは教会でのミサとかオリンピックとか相撲での国家斉唱とかにも同じことが言える。しかしよく考えてみれば、統語秩序の遵守という実態こそ、一番強制されていることなのにもかかわらず、年に一回くらいの式典の方に私たちは威圧感を感じるという事態は実は極めて興味深い事実である。ということは、我々自身は実は心底ある規則に従うことが嫌いな生き物ではないということを意味している。そして率先して規則に付き従うそういう生き物でもあるのだ。そして常に他者と会話することを求めている、ということも出来る。このことは初期人類の言語獲得に関しても多大なるヒントを与えるのではないだろうか?
 例えば儀礼的な、例えば警察や自衛隊の警察葬とか自衛隊葬といった儀礼時の敬礼とか、行進、そういったことにはそこで使用されるマーチとか葬送曲そのものの美しさとは裏腹に楽しいという印象を通常抱かないものである。しかし「合わせる」という行為であることにおいてはディスコで流れる音楽とも、クラブで聞くことが出来る生演奏とも、コンサート会場での音楽とも何ら変わらない。身体的なバイオリズムにおいて感得するシステムである音楽こそ最も体内時計とか根源的な生命記憶に根差した「刻む」行為であり、それは紛れもなく「合わせる」原音楽行為である。だがその音楽や行進といった運動がなされる状況的な意味が我々を片や楽しいと思わせ、片や格式ばった退屈で、憂鬱で楽しくないと感じさせたりするのだ。そういう意味では会話では四六時中規則に統語秩序、要するに母国語の文法秩序に付き従っているのに、状況が変われば途端に拒否反応を抱くケースがあるということは、我々がただ単に規則に従うことが嫌いなのではなく、その行為の目的に対して是非の判断をしている、少なくとも個人的真意のレヴェルではそうである、と言うことが出来る。しかし一方で結婚式とか葬式といった儀礼はどのような成員でも、それは必要だと考える。それは宗教的信仰心とは別個に周知のものとしてほぼ全ての人間が認めているのだ。それは人間が自由というものを価値論的に規定する理性を承認しているからに他ならない。
 私は言語上における品詞では人間が発語し、他者と意思疎通するための目的論的な意味合いからは形容詞こそが最も伝達意思を個人的な真意レヴェルからは重要であると考えている。しかし同時に叙述形容行為は、それを支える構造論的なシステム、品詞の場合であれば、名詞と動詞によって(日本語の場合be動詞がないので、「うわあ、綺麗(美しい)。」のような形容叙述だけの感嘆文では深層構造として動詞が隠されていると普遍文法的観点からは考える)文章となるわけなので、それを慣用的な必須事項としては誰しもその存在を認めて使用しているのだ。それはあたかも本音と建前を使い分けて人間関係そのものを構築している社会的動物としての人間の実像をよく象徴している、と言える。
 またこういうこともある。私たちは読みやすい大衆小説を好む一方で、堅い文学を読み感動をしたいと願い、あるいは退屈な学問(学問というものは得てして退屈なものである)を敢えて真剣に取り組むこともある。つまり我々は常に面白く向こうから飛び込んでくるものだけを価値として認めているのではなく、時には退屈で凡庸であるのに偉大な多くのものを知っており、それを積極的に取り入れることがあるのだ。
 そしてある文章を自然に読む場合には抑揚が必要だが、必要以上に抑揚を強調し過ぎると却って逆効果となるということも本職のアナウンサーではない人でも知っている。また誰か納得出来ない人に対してこちらの言い分の方が正しいと信じており、それを納得させようとする場合、必要以上に自分の言い分を主張する時に、声高な口調で言わないように心掛けるだけではなしに向こうの言い分をも納得出来るのだが、それでもこちらとしてはこちらの言い分の方が正しく謝りではないことを理解させるように穏やかな口調で臨むことを選ぶだろう。それもまた興奮を抑えた感情であり、理解をするという行為それ自体は決してただ闇雲に楽しいことではないということを説得する方も、説得される方もどこかでは心得ているということである。
 声高に叫ばない方が得策なのは、窮地に立たされた時でも当て嵌まる。
 人類が誕生した頃、既に恐竜は絶滅していた。しかし私は古生物学者ではないので、はっきりしたことは分からないが、哺乳類にとっての天敵であった恐竜に成り代わる何らかの天敵が存在していたとしたら、彼等人類の祖先が同一種同士で何かを意思伝達する際には、あまり大きな声を立てて話すという事態は避けねばならなかったかも知れない。だからそもそも発話することが即座に意思伝達の手段になっていたかというとそうではないかも知れない。ただ人間には自分には出来ないことを想像することが出来る。例えば人間は鳥のように空を飛ぶことは出来ない。そしてそれを知っている。つまり「僕たちは空を飛ぶことが出来ない。出来たらいいな。」と考えることが出来る。そういう意味で祖先たちもそのように考えることが出来たであろう。だからこそ人間は飛行機を発明したのだ。もし犬や猫にもそのように自分の出来ないことを認識し、それが出来たらいいな、と考えることが出来たのなら自分たちなりの言語を発見していたかも知れない。つまりこういうことである。自分にない能力を羨ましく思う、要するに能力に対する嫉妬という感情そのものが何らかの努力をするように発奮し、新たな能力を開発するということである。その意味では人間は言語を持たない極初期からそういう想像力、他の種への能力に関する嫉妬を巡って発生する想像力があった、そう考えることは自然である。そしてそのように自分に出来ないことを出来たらいいなと考えることというのは何らかの切羽詰った状況が支配する日常が用意されていなければならない。要するに生存に関する危機的状況に支配されていなくてはならない。恐らく言語獲得の謎を私は捕食者に対する生存の危機という状況が何らかの打開策を同一種同士で模索し合った結果という風に見ている。
 ただ先にも述べた通り常に獰猛なる捕食者に狙われている場合、そうそう悠長に何かを伝達しようとして例えば唸ったり、手を使って何かを伝達している暇はない。互いに示し合わせた手話の規則を持たないなら、何か一つのこと伝達するだけで多大の時間的ロスを齎す。そこで名詞が発明される。捕食者を明示するための決まりごとである。しかしそれだけではやはり不便である。同一種内の仲間同士で相互の事情を伝達し合うために仲間の名前は必要だったであろうし、自然環境の事物や基本的な時間表示、朝、昼、夜といったことを明示することは比較的早かったであろう。しかし問題なのは一つ一つの単語が示し得ても、それらを組み合わせることが出来なければ本質的な伝達事項にはならない。例えば捕食者が自分たちの周囲とか眼前に迫っている時、そのことに気が付かない成員に「云々だ。」と伝えることくらいなら、別に言葉と言葉の連結、組み合わせは必要ない。問題は狩に出掛けていた成員Aが、仲間が屯している共同住居付近で仕事をするBやCに昼間に云々をどこかで見たと報告する際に、云々と場所名、そしてそれを見た時刻を続けて発声すれば、何とか伝わる、そういうことを最初に思いついた時には彼等は打ち震えたであろう。これで色々なことが伝えられる、と。しかし今の例のようにそれは短い節で纏まる。そのような節ならただ単語を並べればよい。しかしもっと複雑な埋め込み文の起源となる説明、修飾を伴うものであれば、何らかの文法的な規則が必要になってくる。
 本来報告文というものは過去形が基本であったろう。だから敢えて過去形であるという表示がなくても、さっきの例で言えば、捕食者名云々、それを見た場所、それを見た時間、そしてその後か、最初に自分の名前を入れれば、例えば「私は云々を~で見た。」という意味は十分伝わる。だから現在形というものを伝え合う時間的精神的余裕が彼等の生活に出てきた時に初めて過去形と現在形を弁別する工夫がなされたと見ることも出来る。
 現在形において意外と重要なのが形容叙述である。例えばAとBとCがほぼ同一行動を取っていても、AならAが少し別ルートで住居に戻ったりするという風なことは十分考えられるし、そうではなくても、Aだけが少し離れた位置にいて取った獲物を捌いて食事の準備をし、BとCは別の集団とか捕食者たちが自分たちの周囲に押し寄せてこないかを見張っているという状況は十分考えられる。その時ふと見張りをしていたBが獲物を捌いているAが心臓発作か何かで倒れ込んだことを発見し、それを即座に少し離れた場所にいるCに伝えるという必要性に差し迫られれば、必然的にそれは過去形ではない別の形での現在形の明示の必要性が生じる。例えば「今」という概念をその時に発見して語彙として捏造したとしよう。そうすると、時間において朝、昼、夜といった分割だけではなく、今、さっき、後でというように過去、現在、未来という分割が概念規定上誕生することになる。例えば朝ということを言うのに、今昼であるならさっきであるし、今夜であるのなら今日の初め頃である。しかし明日の朝かも知れない。そこで朝、昼、夜という区分と、さっき、今、後でという区分が出来ていた頃には既に昨日、今日、明日くらいは表示することが可能となっていたに違いない。そしてその三つが表示出来れば、一昨日とか明後日とかはその三つの前とか後とかつければよいだけだから、極めて容易である。その内カレンダーのようなものをつける習慣にまでなるのは極容易であるとさえ言える。もし今私が論った概念の全部が発見され、他者同士で明示され得れば、文字として表示する工夫はそれほど難しいことではないだろう。寧ろそのような時刻、時間概念、過去形、現在形、未来形といった区分をすることが可能となるということの方が、それらが一挙に出揃って文字を発明するよりも時間がかかったであろうということは想像出来る。
 それは生物学者リチャード・ドーキンスが考えている累積淘汰(「ブラインド・ウォッチメーカー」より)という概念から私が勝手に想像したことなのだ。彼によるとある一定の進化の道筋さえつけば、それが複雑化してゆくプロセスは案外やさしいという考えである。だから一段階淘汰(最初の進化的なワン・ステップ)という偶然さえあれば、後はそれが累積して偶然に偶然が積み重なってゆくことそれ自体(累積淘汰)は必然である、という考えである。その考えは分子生物学者のジャック・モノーも同じようなことを述べている。(「偶然と必然」より)事実我々にとって馴染みの深い動物と植物という区分は大きな生物界においてはほんの部分でしかなく、我々が考える細菌類の区分同士の差異の方がずっと動物や植物との間の差異よりも大きいということは生物学の世界では既に常識である。
 つまり言語獲得において統語秩序の発明という事態は、恐らく対捕食者対策として捏造された、と考えるのが極めて自然である。スピーディーに何事か危機的状況を説明し報告する必要性が人類に捏造させたものが統語秩序である。そして文字が発明されたということの前哨戦としては絵を描くという行為が既になされていたようだから、その延長戦上で、丁度発声する行為のストレス発散とか苦しい健康状態に関する他者への援助要請という必要性と、危機的状況の伝達の必要性から発声行為と語彙連鎖行為を結び付けたように、絵を描く能力と、意思伝達のための視覚的表示という行為を結び付けることが発想されるということは案外たやすかったのではないだろうか?先述の通り人間にはあらゆる行為を結び付けることが出来る。複合動詞もそうだし、工作とかもそうだし、統語秩序もそうである。それは自己の立場を他者の立場に置き換える、要するに想像力のなせる技である。愛情とか信頼とか人の立場になって考え、あらゆる別事項を交差させる能力、それをかつてレヴィ・ストロースはブリ・コラージュと呼んだ(「野生の思考」より)が、そのような創意工夫がなされることの進化上の必然は何らかの一段階淘汰という偶然が最初の一筆として自然界からなされた、ということは容易に想像される。
 捕食者に自分たちの存在を気が付かれないようにするために必要最低限の強勢を統語秩序の中に取り入れる際に、我々は必然的に文章に抑揚をつけることを考えだしたという風には容易に想像される。抑揚のない文章には話者の主観が表現されない。逆に例えば危機的状況を伝達する際には、それが強勢的には穏やかな口調であっても、抑揚さえつければ、伝達者にとって被伝達者に対して伝えたい伝達者だけが知る状況が切羽詰っていて、その切羽詰っている状況を知らせる当人の狼狽といった心理(つまり感情)を表現することが出来る。そのような必要性として平穏時における強勢の代わりに抑揚の調子の弁別によって話者が聴者に対して伝えたい危機的状況に関する叙述様相が伝達可能となる。またその抑揚の調子の弁別化という恣意的ではあるが、それなりの工夫が、逆方向に形容叙述の発達を促したのではないか、とも思われる。つまり形容叙述とは大きな山とか川とか海とか崖とかを表示する時の詠嘆的、自然の崇高さに対する現在形的詠嘆ばかりではない。例えば、「あの時Aが我々に云々が~にいることを伝えた時の表情<顔つき>は凄まじかった。」というような叙述は比較的初期に発達したであろう。先述の時刻、時間概念の発見さえあれば、あとは累積進化という事態は殆ど必然的であったであろう。兎に角無から有が齎されるという事態に比べれば、有から更なる発展を遂げた有へと至るのは、少なくとも自然史いや人類史だけをとってもその前では取るに足らない時間なのだ。だからあのスタンリー・キューブリックの傑作「2001年宇宙の旅」におけるプロローグ・シーンでの類人猿が初めて道具を使った時の打ち震えた仕種から突如宇宙ステーションへのカットバックの切り替えはそういう意味で極めて示唆的だったと思う。注
 次章では形容詞というものの発達が名詞動詞の組み合わせ、並び合わせから発達した統語秩序以来最も重要な発見だったのではないか、という仮説の下に形容詞の分析をしてみようと思う。(注、1974年にアウストラアファレンシス<アファール猿人>のルーシーが発見されたことから彼等が初めて道具を使用して同一種内で殺害したという想定だった。320万年くらい前の霊長類であるとされる。)

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