Friday, November 15, 2013

シリーズ 愛と法 第五章 幸福という価値の呪縛から解き放たれて①

 我々が意外と多くの日常生活でのお仕着せ的観念を植えつけられているものとは幸福感であろう。
 しかし今この幸福という観念をもう一度再考してみると、意外とよくその意味を多くの人達が考えていないということにも気づかされる。
 つまり寧ろこの幸福感それ自体が多くの思考の可能性を塞いで来たとも言い得るのだ。そこで今回は愛と法を考える上で制限するモラル的力ともなっている(それはいい意味でも悪い意味でも)幸福感に就いて考えてみよう。
 幸福感は愛情の注ぎ方から受け取り方、家族観とも一体化されて我々は幼少時から訓育されてきている。要するにある正業へ就き安定した収入と家庭を持ち、地域社会でも一定の安心を得て、自分自身も社会へ貢献するという形で定型的な価値規範として君臨している。
 しかし現代社会ではかつての良識とかモラルに準じたそういう模範的生活を全ての人達が得られる訳ではないと多くの人達が知っている。要するにある定型へと嵌め込み巧みに社会へ反社会性を身に着けぬ様にする為の訓育的観念であるところの幸福感自体への懐疑を多くの市民が自然と持つことが当然となっている現代社会では、幸福という考え方自体が一つの盲腸的な観念のポジションであると認識することすらそれ程不自然ではなくなってきている。
 良い子として育ち、きちんと社会へ順応して税金を収めて生活していくということそれ自体は決して悪いことではないが、その定型が何か特別個々人に役立つメッセージとか強烈な感動を誘う訳でもない。
 寧ろ勤労観自体が凄く激変している今日では、これこれこういう風に真っ当に生きていれば幸福とも言い切れない状況に支配されている。
 既に性も婚姻制度の在り方さえ多様化している現代社会では、どう生きていくべきかから、どういう生活スタイルと人生の充実感をどう得るかそれ自体さえ、まず個人の選択に委ねられていて、何に対して満足するかということさえ価値的に多様化されていて、幸福という観念自体が干からびたものとなっていると言ってさえ言い過ぎではない。
 寧ろ不幸、それは病に罹ることもだし、精神的に大きな苦悩を抱え込むこともそうであるが、そういう状況だけに支配されていないということの方が、幸福という定型へ準じて実現されているか否かより重要だと言える。
 つまり明らかに不幸ではない限り、後は何れ程幸福かとかの判断はその都度個人が下していけばそれでよく、こうでなければいけないということ自体がないと言っていい。だから愛の在り方も何かこうでなければいけないということはないのだ。何か著しく反社会的に法的に社会生活が他の市民に迷惑をかけることさえなければ、どう過ごそうが人生は個人の選択に委ねられている。
 お金儲けを本論とするか、趣味の実践を本論とするか、恋愛を重ねることを本論とするかも自由であるなら、出来るだけ勤勉ではないある部分法的に罰せられぬ範囲で怠惰な生活を送りたいとさえ望んでも、それが他人に迷惑さえかけなければ、それさえ自由である、ということの方がこうでなければ幸福とは言えないと言うよりも自然である。
 この自由選択の自然さこそが、寧ろ幸福という観念の有効性を著しく弱化させてきている。幸福であるか否かを判断する暇があるなら、何か具体的に実行していった方がいいという判断の方がずっと現代社会では自然である。
 そして何が自然であると思えるかということさえその都度の恣意的な判断でしかない。ある部分どういう仕事を人生でその都度選択していくかということの方が予め価値的に幸福という観念に当て嵌めて仕事を選ぶことより自然である。つまり仕事内容に拠ってそれぞれ異なったやり甲斐というものが存在して、ある仕事とかあるコミュニティで一定の社会的地位を得ることが、何か社会全体のグローバルな価値規範に於いてどうであるという評定を無意味なものにしているのが現代社会を生きるということなのである。
 従って幸福感(観)ということ自体が既に抽象的な形而上的価値なのであり、具体的にイメージング為難いのだ。それは既に分析哲学とか倫理学の哲学用語的な抽象性の語彙なのである。そして何に基準を設定するかに拠って幸福であるか否かも、或いは幸福という観念を態々持ち出すことも自然で適切であるかも変わってくるとしか言い様がないのだ。
 だから初回の今回は著しく苦しくないこと、つまり身体健康的にも精神的充実感としても凄く不幸ではないことだけがある程度いいことなのだ、とユニヴァーサルに言い得て、それ以外はその都度何に基準を設定するかによって異なった回答がその都度用意されていて、予め幸福とはこういうことであるとは言えないということだけが取り敢えず真理である、とは言い得よう。(つづき)

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