Monday, October 27, 2014

シリーズ 愛と法 第十三章 種と愛の在り方

 重要な事とは、私達は普遍という事を念頭に生きていく訳ではないという事だ。普遍とは私達一個一個の個にとって具体的であらゆる固有の条件を背負って生きていく上で人生の途上の何時か何等かの瞬間に悟る様なもので(と言ってそれは何かそういう価値あるものとして見出さなければいけない様なものでなく)、悟る事に拠って生きていく上での自信とか安心を得るだけの事であり、例えば私なら日本のある場所に生まれ其処に何年か居て別の場所へ引っ越しという様な極めて具体的な私自身が幼い頃には私自身の力ではどうにもならない外部からの強制に拠って、その限定的条件の下で成長していかざるを得ず、その固有の条件自体へ好き嫌いとか不平不満等言い様もないものである。
 つまりそういう風に誰しもが付与された(付与する者が神であれカミであれ仏であれ何であれ)固有の条件下で我々は生きていくとは何かを自分なりに見出していく他あり得ず、普遍が最初から与えられている訳ではないという事だ。
 日本では前世、来世を論う仏教は奈良時代に定着していった訳だが、遣唐使等の施策以前的に国家規模の統一を図るものは神道だった訳だが、神道は現世的宗教であり、死者を穢れとして捉える。従って天皇等の古墳(墳墓)は須らく生者の近寄っていくべき場所でなく、死の穢れを鎮める意味合いがあり、神社でお祓い等の祈祷をするのも、当然の事ながら死への穢れを祓う意図のものである。死者の鎮魂や供養は仏教が担ってきた。それでも日本では神仏混淆であったが、明治政府に拠り神仏が分離される運びとなって現在へ至っている。
 対し台湾では明治政府的な神仏分離的意図が政府に拠って為された事がなかった為に江戸期以前の日本同様、神仏は今も混淆的である。しかも中国では毛沢東の文化大革命に拠り仏教寺社等を破壊して無宗教的国家へ再生されたので、今ではそれ以前の中国の宗教伝統的文化の名残は却って台湾か香港に残存するという訳だ。
 中国大陸では長江(揚子江)を境にそれより北では仏教が、それより南では道教が一般的に文化的に強く、道教では神仙思想と老荘思想とで役割分担され、前者では大極という中心(渦巻き的システム。此処等辺は極めてワトソンとクリックの二重螺旋を彷彿させる)を持つ陰陽五行等(日本では安倍晴明に拠る陰陽師として継承されてきている。神戸に唯一道教の寺がある)の風水等の方位学的知見等を生んできた訳だが、日本の神社でも大きな建物を神宮と称し、それ以外を神社としている様に台湾では、大きなものを宮、小さな一般的な神社的役割のものは廟と称している。
 仏教はそれ以外でも台湾でも存在し、その点では明治政府神仏分離以前的な日本と今の台湾は酷似している。
 宗教伝統的格式とか風習とかは好き嫌いを問わずどの国でもどの地域でも誰しもが幼い頃から自然と身に付けており、それは個人の選択以前の問題である。個人の自由意志とか選択とかは、あくまでそういった強制的などの自己にも課せられる運命的な条件(生まれてくる時に男女とかトランスとかの条件がある様に)を付与され、誰しもがそれを背負う形で成長していく過程で理性とか道義とか正義とか倫理とかを学ぶ内に自ら掴み取っていくものとして後発的に意識されるものであり、その理性的な判断とは、あくまで誰しもが逃れられない個に背負わされた、付与された固有の条件というものの上で成立するものなのだ。
 田辺元はその事に就いて師の西田幾多郎からの教えや訓示以外でも懊悩し、『種の原理』を著したが、それが戦争を正当化する軍部に利用され、その事実への贖罪心理から戦後直ぐに『懺悔道の哲学』を著した。だが彼の内部での信念は理論的な意味で種という発想自体を否定するものではなく、あくまでそれへ軍部利用されていったプロセスに内在する自分自身のどうする事も出来なかった運命へ必死に懺悔に拠って抵抗を試みたと言う事が出来る。
 田辺が大きく後年啓発されたハイデガーは既に田辺的な観念には若い頃に到達していた。田辺はそれを発見する事で、ハイデガーと自分とを比較検討したりして、最終的にはハイデガー批判をも兼ね備えた理論と論理へ到達した。
 ハイデガーは『存在と時間』で既に今日の分析哲学が現象性として考える個の他者との間のどうしようもない孤絶性を死というものの主体にとっての逃れられなさと、他者から介入される事の無い事を、唯主体的な責任付与的運命の下に描出していた。
 その後の著作である『現象学の根本問題』ではその主体の運命を実在論として存在論として、本質存在(エッセンティア)と事実存在(エクシステンティア)という風に二分させ概念設定する事でその主体の運命的な条件と生きるという事の真理を見出そうとした。ハイデガーは愛という様な語彙は使用しない。哲学として存在論としてそういう判断を哲学では保留するという事が一つの哲学者固有の自己判断であり倫理である。科学者も今度は倫理それ自体を論じないという倫理がある。それは科学者の領分ではないという自覚に拠ってである。
 つまりそれこそが主体のどうしようもなく背負わされた運命であり、固有の個としての条件であり、普遍は或いはその逃れられなさに於いてのみ誰しもに拠って実感され得るものかも知れない。愛もそうである。それはキリスト教の様にそれ自体としてダイレクトにイエスやヨハネに拠って言及される場合でも、哲学の様にそれ自体として論われる事を保留される場合でも、誰しもが固有の条件からは逃れられないという運命的な個の他者からの隔絶、孤絶その事を言うのかも知れない。
 つまり主体の運命、命運的な固有条件、絶対的に一回性的な出来事や背負わされたものの孤絶性、隔絶的孤独の持つ本質的には他者に委ねる事の絶対不可能性に於いて、真理とか普遍というものが考えられるなら、愛も又公的な道徳として如何に説得力を持って説かれても尚、最終的には主体の自己判断、自己決裁に拠って履行していかざるを得ない一つの他者への手の差出、与えるという事の行為実践である。自分の心の中のどういう状態を他者へ何かを差し出す、与えるという事を意味するかは、終ぞ誰から教わるものでも、教えて貰い納得するものでもない。
 それは率直に自己で何かを為して精神的に充足しているか否かの自己判断にのみ委ねられている。他者の愛が自己の愛と相同であるかとか、自己の愛が他者への差出とか与えに値するかを他者に判断して貰う様なものではあり得ない。つまりその判断の主体へ全面的に委託されたという意味こそ、愛の本質である。愛の本質は従って法それ自体の目の行き届くものではない。何故なら法は目の行き届く範囲に常に留まるからだ。しかし如何に他者から感謝されようが、如何に法的にその行為は愛に値すると迄判断されようが、その事と自己内の精神の充足とか悔いが無いのかそうでないのかとは別個の事である。
 キリスト教で説く愛が他者への与えであるとしたら、それは他者が自己に拠って与えたものをどうするか、どう受け取るか自体が他者へ委ねられ、その部分での決裁に関し与えた者もどうする事も出来ない、それを踏み越える事の互いでの出来なさこそ一つの主張であり、キリスト教的悟りと言える。キリスト教は一般社会的な法を説いているのではない。しかしキリスト教的愛の法があるとしても尚(それを一つの愛の与えとして受け取ったとしても尚)、それはその与えに対する受け取りに関して、何人たりとも越権する事が出来ない、それは神でもである(その事は永井均が『私、今そして神』で述べていた事である)という一種のどうしようもない我々全体への突っ放し以外ではない。
 このある種の主体という事、現象的な私という事の内でしか個の精神的充足感を認める事の出来なさの神さえもの踏み越えられなさに対して現代哲学は提言しているのだし、宗教伝統文化慣習もその事を恐らく太古より習熟していた筈であり、民主主義とか社会倫理とか言っても、それは外在的法でしかなく、内在的な法以前的な主体の自己判断性は誰しもが誰からも踏み越えられ得ず、踏み越え得ず、その突っ放しそれ自体の中でしか全ての愛への論議は為され得ず、それを認める処からだけ、この様に論述している言語自体も運用され得るのだという事以外ではない。(つづき)

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